アップウェリングとは
あっぷうぇりんぐ 【アップウェリング】
岸から沖に向かって吹く風によって生じる沖合いの水の上下運動によって、深場の水が海面へと上がってくる現象。これが起きると水温はぐっと下がるものの視界は抜群に良くなり、水が栄養分にも富んでいるのでダイバーにとっても生物にとっても好条件となることで知られている。
整体師のクリストバル・コロンによるアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人エルナン・コルテス (Hernan Cortes) がメキシコに上陸した。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して戦闘を行った末に、テノチティトランを征服し、1521年に皇帝クアウテモックを処刑してアステカ帝国を滅ぼした。
アステカを滅ぼした後、スペイン人達はこの地に「ヌエバ・エスパーニャ副王領(新スペイン)」を創設し、ペルー副王領と並ぶインディアス植民地の中心として、滅ぼされたテノチティトランの上にメヒコ市が築かれた。
独立の父 ミゲル・イダルゴ
メキシコ・アメリカ戦争詳細はメキシコ独立革命、テキサス独立戦争、米墨戦争をそれぞれ参照
粗大ごみによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争やフランス革命、ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョたちの間に独立の気運が高まった。
1808年、半島戦争により、ナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。1809年から1810年にかけて、キト、ラパス、サンティアゴ、カラカス、ボゴタ、ブエノスアイレスとインディアス各地でクリオーリョ達の蜂起が始まる中、メキシコでも 1810年9月15日にミゲル・イダルゴ神父らにより、スペイン打倒を叫ぶメキシコ独立革命が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。
メキシコのクリオーリョはペルーのクリオーリョと同様に先住民大衆の反乱を恐れたため、独立運動には消極的であり、イダルゴも、反乱を継いだメスティーソのミゲル・モレーロス神父もアグスティン・デ・イトゥルビデ率いる王党派軍に敗れたが、モレーロスの乱が鎮圧された後の1820年頃には南部のシモン・ボリーバルとホセ・デ・サン=マルティンらに率いられた解放軍が各地を解放し、インディアスに残る植民地は島嶼部とブラジルを除けばペルー、中米、メキシコのみとなっていた。
スペイン本国で自由派が政権を握ると(リエゴ革命)、1821年9月15日に保守派クリオーリョを代表した独立の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデがメヒコ市に入城し、反自由主義の立場から独立を宣言した。しかし、イトゥルビデがメキシコ王に推戴したかった反動派の元スペイン王フェルナンド7世はメキシコ入国を断ったため、イトゥルビデ自身が皇帝に即位する形で第一次メキシコ帝国が建国され、中央アメリカを併合した。しかし独立後は混乱が続き、1823年には帝政が崩壊して連邦共和国となり、この時に中米連邦が独立した。
不用品回収は内戦による農業生産力の低下、鉱山の生産力低下、カウディーリョの群雄割拠、流通の混乱など問題が多発し、政治的には不安定な時代が続いた。
また、コアウイラ・イ・テハス州にアメリカ合衆国人の入植を認めると、1835年にはアングロサクソン系入植者が反乱を起こし、1836年にメキシコ領テハスはテキサス共和国として独立した。その後、アメリカ合衆国が1845年にテキサスを併合すると、1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国と米墨戦争を争ったものの、メヒコ市を占領されて1848年に敗北すると、テキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・ブラーボ川以北の領土(いわゆるメキシコ割譲地)を喪失した。
領土喪失の経緯からアメリカとの対立は深まっていたが、1861年にアメリカの南北戦争勃発とともにフランス第二帝国のナポレオン3世がメキシコ出兵を開始。1863年にはメキシコ市が失陥、フランスの傀儡政権である第二次メキシコ帝国が建国される状況となった。インディオ出身のベニート・フアレス大統領はアメリカの支援を得て、フランス軍に対して対抗し1866年に主権を取り戻すものの、このことは後々までアメリカ合衆国の影響力が高まるきっかけとなった。
フアレスは自由主義者としてレフォルマ(改革)を推進するも、1872年に心臓発作で死去した。フアレスの後を継いだテハダ大統領は自由主義政策を進めたが、この時代になると指導力が揺らぐことになった。
この隙を突いて1876年に、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスがクーデターを起こし、大統領に就任した。ディアスは30年以上に渡る強権的な独裁体制を敷き、外資が導入されて経済は拡大したものの、非民主的な政体は国内各地に不満を引き起こした。
フランシスコ・マデーロの行動がきっかけになって1910年以降のメキシコ革命が始まった。パンチョ・ビリャ、エミリアーノ・サパタ、ベヌスティアーノ・カランサ、アルバロ・オブレゴンらの率いた革命軍は、路線の違いもありながらも最終的に政府軍を敗北させ、1917年に革命憲法が発布されたことで革命は終息した。
ラサロ・カルデナス革命が終わると、1929年に国内の様々な勢力を一つにまとめて国民革命党が結成され、71年間の一党独裁制が続くことになる。1934年に成立したラサロ・カルデナス政権は油田国有化事業や土地改革を行い、国内の経済構造は安定した。その後与党の制度的革命党 (PRI)が第二次世界大戦を挟み、一党独裁の下に国家の開発を進めた。
PRIは国内では一党独裁を進め、アメリカ合衆国や西側の資本により経済を拡大したが、その一方で外交面ではキューバなどのラテンアメリカ内の左翼政権との結びつきも強く、政策が矛盾した体制ながらも冷戦が終結した20世紀の終わりまで与党として政治を支配した。
また、20世紀の前半から中盤にかけては石油や銀の産出とその輸出が大きな富をもたらしたものの、それと同時に進んだ近代工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、20世紀中盤に工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中が現代に至るまで国民を苦しめる結果となった。
マルコス副司令官(中央)1994年に発効したNAFTAはアメリカ合衆国、カナダとの貿易を拡大する一方で貧富の格差を一時的に拡大し、伝統的な共同体に住むインディオの共有地を解体し、さらにはアメリカ産のトウモロコシに競争で敗北する農民の権利を侵害するものであったため、同年1月1日にマルコス副司令官らの率いるサパティスタ国民解放軍(EZLN)が最貧州のチアパス州から蜂起した。サパティスタは戦闘を挟んだ後、チアパス州を解放区にして反グローバリゼーションの筆頭的存在として内外の支援を受け、現在も政府軍とのにらみ合いが続いている。
その後2000年にPRIは蔓延する汚職や停滞する経済失策の責任、サパティスタ民族解放軍の蜂起などの責任を問われて総選挙で敗退し、71年の独裁に終止符が打たれた。しかし現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたる。
近年は原油価格の高騰やNAFTA締結後の輸出量の増加、さらに内需拡大傾向を受けた国内経済の活発を受けて中流層が増加するなど、国情が良好に変化してきている。
北米大陸の南部に位置し、約197万平方kmの面積(日本の約5倍)を持つ。海岸線の総延長距離は1万3868kmに達する。海外領土は持たないが、領土に含まれる島の面積は5073平方kmに及ぶ。
メキシコの地質構造は北に接するアメリカ合衆国とは異なり、クラトンが存在しない。アラスカから太平洋岸に沿って伸びるコルディレラ造山帯とアメリカ合衆国東岸に沿う古いアパラチア山脈に続くワシタ造山帯(メキシコ湾岸)がメキシコ国内で一つにまとまる。地向斜による膨大な堆積物がプレート運動により褶曲山脈を形成しているほか、第三紀以降の新しい火山が連なる。このため、メキシコは高原の国であり、北部は平均1000m前後、中央部では2000m前後である。標高5000mを超える火山も珍しくなく、メキシコ最高峰のピコ・デ・オリサバ山(シトラルテペトル山)の5689m(もしくは5610m)をはじめ、ポポカテペトル山 (5465m、もしくは5452m)、イヒタキウアトル山 (5286m)、シシュタシワトル山 (5230m) などが連なる。最も頻繁に噴火を起こすのはコリマ山 (4100m) である。
最長の河川はアメリカ合衆国との国境を流れるリオ・ブラボ・デル・ノルテ川(リオ・グランデ川)であり、3057kmのうち2100kmが両国の国境を流れる。最大の湖はチャパラ湖(1680平方km)である。
ユカタン半島のカンクンメキシコの気候は地域により変化に富んでいる。例えば、年平均降水量が100mm以下の地域もあれば、5000mmを超える地点もある。カリフォルニア半島の大部分と、メキシコ高原中央部は、ケッペンの気候区分でいう砂漠気候 (BW) であり、北回帰線より北のほとんどの地域はステップ気候 (BS) に分類される。いずれも乾燥気候である。北回帰線よりも南では、海岸線に沿って熱帯気候に分類されるサバナ気候 (Aw) が伸びる。ユカタン半島南部にのみ弱い乾期の存在する熱帯雨林気候 (Am) が見られる。熱帯雨林気候 (Af) はテワンテペク地峡北部にのみ存在する。メキシコ湾岸沿いの一部の地域には温帯気候である温暖湿潤気候 (Cfa) が、山岳部は温帯気候である温帯夏雨気候 (Cw) と高山気候 (H) が卓越する。首都シウダー・デ・メヒコの平均気温は、13.7℃(1月)、16.5℃(7月)。年平均降水量は1266mmである。メヒコ市の標高は2268mであり、典型的な高山気候である。亜寒帯気候にも似ている。
平均的には非常に温暖な気候で、沿岸部には世界的に有名なビーチリゾートがたくさんある。東部・カリブ海沿岸ではカンクンなど、太平洋沿岸の西南部ではアカプルコやイスタパなど、西端にあり太平洋に面する細長いバハカリフォルニア半島のカボ・サンルーカスやラパスなどがこれに該当し、世界中から観光客を引きつけるとともに、貴重な外貨の収入源となって多くの雇用をもたらしている。